能登上布の新たな試みと基幹産業を応援する高校生
まずご覧頂くのは、能登上布(のとじょうふ)の反物です。
能登上布は、石川県中能登地方に古くから伝わる高級麻織物です。
それは「蝉の羽根」とも形容される薄くて軽く、しかも丈夫な盛夏の着物生地です。
また、肌触りが良く「経緯絣(たてよこがすり)」という、精密なかすり模様が特徴です。
能登上布の歴史は古く「古事記」・「日本書紀」に記される第10代天皇である崇神天皇(すじんてんのう)の娘が、この地に滞在した際、野生の真麻で糸を作り地元の女性に機織りを教えたことが、能登上布の起源であるとされています。
そのため中能登地方は、江戸初期までに近江上布の原糸として、麻糸の産地となりました。
そして、江戸時代後期になると、近江から職人を招いて織物生産が始まりました。
これにより文政元年に、能登縮(のとちぢみ)と称した麻織物が誕生しました。
その後能登縮は、明治40年に皇室献上品に選ばれるまでになりました。
この頃から、能登縮の上質性が認知され「能登上布」と呼ばれはじめました。
なお上布とは、麻織物の最高級品に贈られる称号です。
そして昭和初期には、織元数が140軒を数え、生産量も年間40万反にもなり、麻織物の中で全国一となりました。
また1960年(昭和35年)には、石川県無形文化財に指定されました。
しかし、着物離れの影響により昭和63年には、織元がただ1軒のみとなってしまいました。
その唯一の織元である山崎麻織物工房は、現代にも通じる製品を開発しようと努力を重ねています。
その工房は、着物にはあまり用いない淡色の麻糸で織るなど、工夫したストールやシャツ・クッションを開発し、日常生活で使うことを提案しています。
また、2017年2月10日~14日にドイツで開かれた、世界最大級の国際見本市「アンビエンテ」に初出展しました。
その目的は、天然繊維が好まれるヨーロッパをターゲットとした販路開拓です。
これは、伝統技術を守りつつも、現代風のアレンジを加えた実用性のある製品を作るという好例と言えるでしょう。
そして地元の人々も、町の基幹産業である繊維産業を盛り立てようと企画しています。
鹿西(ろくせい)高校美術部に所属する8人が、中能登町のJR能登部駅(のとべえき)構内で「織姫」と「彦星」をデザインした壁画を描きました。
これは、JR西日本七尾鉄道部の依頼を受けたもので、ホームにある渡線橋の柱をキャンバスに、縦約3.5メートル・横約3メートルの大作となります。
この作品は、線路を天の川に見立て、年に一度しか会えない織姫と彦星の物語を表現したそうです。
またこの壁画は、駅を通過する電車内からも見ることができます。
こうすることで、駅を利用する学生や住民だけでなく、電車の乗客にも中能登町の歴史を伝えることを意図しています。
また美術部員は、鹿西高校近くにある能登比咩神社(のとひめじんじゃ)に関する歴史を学んで、このデザインに決めたそうです。
鹿西高校近くにある能登比咩神社には、織物に縁起する2神が祭られています。
その1神である「能登比咩神」は、麻織物の製法を中能登に授けた能登上布の祖とされています。
そしてもう一人の神、崇神天皇の娘である「沼名木之入日売命(ぬなきいりひめのみこと)」は、能登上布を織る技術である「機織り」を教えたと伝えられています。
彼らの活動は、まさに「温故知新(おんこちしん)ふるきをたずねあたらしきをしる」の実践版ではないでしょうか。
おじさんは、若者達による町おこし活動に、今後大いに期待したいと思います。
今回の担当は、達じいでした。
あんやと(*´▽`*)。
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