2017年2月15日水曜日
兼六園の梅花と前田家家紋・剣梅鉢紋
金沢の兼六園では、強い寒気が流れ込む中、ウメが咲き始め早咲きの八重寒紅梅と冬至梅が、見頃を迎えました。
兼六園には、ウメがまとまって植えられている梅林があります。
また園内には、20種類・約200本のウメがあります。
その中で、最も多い100本の白加賀は、まだつぼみが2分咲くらいです。
そして、鮮やかなピンク色の花を咲かせる摩耶紅梅は、3月中旬から下旬が見頃になります。※2017年2月10日付、北陸中日新聞の記事に基づいています。
これは、石川県が誇る九谷焼のお銚子と盃の写真です。
お酒好きのおじさんが愛用する「ウメ~」の画像で、まずはお楽しみ下さい。
そしてこちらは、着物の梅柄の華やかな画像をご覧下さい。
ところで、兼六園に梅林があることには、深い理由があります。
それは加賀藩前田家が、菅原道真の子孫であることを自称していることにちなみます。
菅原道真は、平成時代の歌人です。
代表的な歌は「東風(こち)吹かば、匂いおこせよ 梅の花 主(あるじ)無しとて 春を忘るな」です。
また道真は、学問の神様としてまた天神様として、福岡県太宰府天満宮など各地の天満宮で祭られています。
この太宰府天満宮には。約200種・およそ6000本の白梅や紅梅があり、日本有数の梅の名所になっています。
そして、この由緒正しき!??前田家の家紋は、剣梅鉢紋です。
前田家は、もともと六曜紋でしたが、それが梅鉢紋に変わり、加賀藩三代藩主前田利常の時代に剣梅鉢紋となったそうです。
この紋は、梅鉢紋に幼剣(短小な剣)を入れたデザインです。
この剣は、前田本家では短かい剣ですが、支藩である富山藩や大聖寺藩(だいしょうじはん)では、剣が少し長くなっています。
一方、七日市藩ではその剣がなくなります。
その理由は、意外なところにあります。
本藩は、学問や文化を通じて徳川と仲良くやっていこうという文治派のため、梅鉢の剣を短くしています。
それに比して支藩の方は、いつかは徳川に変わって天下を獲ってやるぞという、心に秘めた武功派としての意気地で、剣を長くしているそうです。
ここでお話は、大きく変わります。
縁起の良い物のたとえに「松竹梅」という言葉があります。
この松竹梅は、ともに寒さに耐えるため「歳寒の三友」と呼ばれて、おめでたいものとして慶事に使われます。
「松」は、四季を通じて常に緑を保つから縁起がいい。
「竹」は、すくすくと伸びるから縁起よし。
「梅」は、極寒の冬に一番先に花が咲くからおめでたい。
これが「松竹梅」の由来と考えられているようです。
また、基本的にこの三つには、一番・二番・三番という順番はないそうです。
では、なぜ順番がついてしまったのでしょうか。
この理由には、うなぎ屋発祥であるという説があります。
本来うなぎ屋では、客の注文を受けてからそれをさばき焼くため、蒲焼きが出てくるまで長時間かかります。
そのため江戸っ子は「松(まつ)竹(だけ)梅(うめ)え」と洒落て待ったそうです。
そんなうなぎ屋さんの中にも、梅が一番上等のうな重であるお店があると聞いたこともあります。
そして、金沢でも「梅が一番」という言葉があります。
それは「うめがいち」という言葉です。
これは、金沢特有の伝統文化である子供の遊び「旗源平(はたげんぺい)」にちなんでいます。
まず2個のさいころを振り、1と5の目が出ると10点得点され、中旗1本もらえます。
そしてさらに、さいころを続けて振ることもできます。
これが旗源平では、一番良い手となり「うめがいち」と呼びます。
さいころの5の目は、梅の5枚の花びらに見立てます。
そして1の目は、もちろん1番の意味です。
このようなわけで、金沢では梅が一番なのです。
今回の担当は達じいでした。
あんやと(*´▽`*)。
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