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2017年3月17日金曜日

能登上布の新たな試みと基幹産業を応援する高校生

能登上布の新たな試みと基幹産業を応援する高校生


まずご覧頂くのは、能登上布(のとじょうふ)の反物です。

能登上布の新たな試みと基幹産業を応援する高校生能登上布の新たな試みと基幹産業を応援する高校生
能登上布の新たな試みと基幹産業を応援する高校生能登上布の新たな試みと基幹産業を応援する高校生

能登上布は、石川県中能登地方に古くから伝わる高級麻織物です。

それは「蝉の羽根」とも形容される薄くて軽く、しかも丈夫な盛夏の着物生地です。

また、肌触りが良く「経緯絣(たてよこがすり)」という、精密なかすり模様が特徴です。


能登上布の歴史は古く「古事記」・「日本書紀」に記される第10代天皇である崇神天皇(すじんてんのう)の娘が、この地に滞在した際、野生の真麻で糸を作り地元の女性に機織りを教えたことが、能登上布の起源であるとされています。

そのため中能登地方は、江戸初期までに近江上布の原糸として、麻糸の産地となりました。

そして、江戸時代後期になると、近江から職人を招いて織物生産が始まりました。

これにより文政元年に、能登縮(のとちぢみ)と称した麻織物が誕生しました。

その後能登縮は、明治40年に皇室献上品に選ばれるまでになりました。

この頃から、能登縮の上質性が認知され「能登上布」と呼ばれはじめました。

なお上布とは、麻織物の最高級品に贈られる称号です。


そして昭和初期には、織元数が140軒を数え、生産量も年間40万反にもなり、麻織物の中で全国一となりました。

また1960年(昭和35年)には、石川県無形文化財に指定されました。

しかし、着物離れの影響により昭和63年には、織元がただ1軒のみとなってしまいました。


その唯一の織元である山崎麻織物工房は、現代にも通じる製品を開発しようと努力を重ねています。

その工房は、着物にはあまり用いない淡色の麻糸で織るなど、工夫したストールやシャツ・クッションを開発し、日常生活で使うことを提案しています。

また、2017年2月10日~14日にドイツで開かれた、世界最大級の国際見本市「アンビエンテ」に初出展しました。

その目的は、天然繊維が好まれるヨーロッパをターゲットとした販路開拓です。

これは、伝統技術を守りつつも、現代風のアレンジを加えた実用性のある製品を作るという好例と言えるでしょう。


そして地元の人々も、町の基幹産業である繊維産業を盛り立てようと企画しています。

鹿西(ろくせい)高校美術部に所属する8人が、中能登町のJR能登部駅(のとべえき)構内で「織姫」と「彦星」をデザインした壁画を描きました。

これは、JR西日本七尾鉄道部の依頼を受けたもので、ホームにある渡線橋の柱をキャンバスに、縦約3.5メートル・横約3メートルの大作となります。

この作品は、線路を天の川に見立て、年に一度しか会えない織姫と彦星の物語を表現したそうです。

またこの壁画は、駅を通過する電車内からも見ることができます。

こうすることで、駅を利用する学生や住民だけでなく、電車の乗客にも中能登町の歴史を伝えることを意図しています。


また美術部員は、鹿西高校近くにある能登比咩神社(のとひめじんじゃ)に関する歴史を学んで、このデザインに決めたそうです。

鹿西高校近くにある能登比咩神社には、織物に縁起する2神が祭られています。

その1神である「能登比咩神」は、麻織物の製法を中能登に授けた能登上布の祖とされています。

そしてもう一人の神、崇神天皇の娘である「沼名木之入日売命(ぬなきいりひめのみこと)」は、能登上布を織る技術である「機織り」を教えたと伝えられています。

彼らの活動は、まさに「温故知新(おんこちしん)ふるきをたずねあたらしきをしる」の実践版ではないでしょうか。

おじさんは、若者達による町おこし活動に、今後大いに期待したいと思います。

今回の担当は、達じいでした。

あんやと(*´▽`*)。






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2017年3月15日水曜日

ひな祭りと和菓子。金花糖といちごびなとひし餅。

ひな祭りと和菓子。金花糖といちごびなとひし餅。


金沢では、ひな人形を新暦の3月3日から4月3日(旧暦の3月3日まで)飾る風習があります。

それに合わせて私達は、おひな様に和菓子をお供えし、家族やお友達といっしょに飲食して、女の子の健康や幸せを祈ります。

この和菓子には、いろいろな種類があります。

それらは、桜餅やひし餅・ひなあられ・おひな様の姿を表した上生菓子などが、代表的です。

そしてこれが、金沢独特の和菓子である「金花糖(きんかとう)」です。
金沢独特の和菓子金花糖
金花糖(金華糖とも書きます)とは、煮溶かした砂糖をサクラ材でできた木型に流し込み、冷やし固め食紅で彩色した砂糖菓子です。

その形は、桃の節句に供えることからをかたどっています。

また、縁起物である海老たけのこなどの野菜の形をしたものもあります。

こちらは「金沢市老舗記念館(かなざわししにせきねんかん)」に展示されているおひな様と金花糖です。
金沢市老舗記念館に展示されているおひな様おひな様と金花糖
この金花糖の歴史は古く、加賀藩第13代藩主・前田斉泰(まえだなりやす)への献上品となった「にらみ鯛」の金花糖が、その始まりとされています。

にらみ鯛とは、京都でお正月に食べられる「尾頭付の塩焼き鯛」のことです。

京都では、この塩焼きの鯛をお正月三が日、箸を付けずに「にらんで」4日目に食べる風習があるそうです。

この風習は、おめでたい鯛をまず神仏にお供えし、その後にお下がりとしてこれを頂くという奥ゆかしさから生まれたと、考えられているようです。

しかし今日では、この風習が廃れてしまい、京都でもごく一部の地域で継承されているそうです。

金沢では、この高価な鯛を当時貴重である砂糖を使った和菓子に置き換えることで、よりお供えとして日持ちできるようにしたものと想像されます。

そしてこちらは、おひな様の姿を表した上生菓子です。

金沢市内のお店「美福(みふく)」の「いちごびな」をお見せします。
美福のいちごびな
おひな様は、白あんを桃色の「外郎(ういろう)」の衣で包み、いちごでお顔を見立てたものです。

一方、お内裏様の体は、こしあんでできています。

ちなみに美福は、金沢に数あるお店の中でも美味しいと評判のお店です。

特に、みたらし団子と桜餅が有名です。

この美福とは、とても珍しいお店の名前ですが、その名の由来は「みてしくえらんで楽しい、ひとくち食べるとが来る」という文言からきているそうです。

またこちらは、ひし餅です。
定番の和菓子であるひし餅
ひな祭りには、定番の和菓子であるひし餅ですが、その各段ごとのお餅の色には、それぞれに意味があるそうです。

まず、下段の緑色の餅は、大地を表し健康や長寿を象徴しています。

また、中段の白色の餅は、雪を表し清浄を意味します。

そして、上段のピンク色の餅は、桃の花を表し魔除けの意を示唆するそうです。

つまり、これらを言葉で表現すると「大地に積もった雪が解け、が芽生え桃の花が咲く」となります。

私は、和菓子の世界がとても奥深いものだと、改めて感じ入りました。


あんたもいっぺん金沢にきてみまっし~♪♪

今回の担当は、達じいでした。

あんやと(*´▽`*)。

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2017年3月13日月曜日

木滑なめこと名産品「でっけぇなめこ」

木滑なめこと名産品「でっけぇなめこ」


金沢市の2つお隣に「白山市(はくさんし)」があります。

白山市は、2005年2月1日に1市2町5村が、合併してできた市です。

そのため面積がとても広く、日本海に臨む松任(まっとう)地区や美川(みかわ)地区から、白山麓の白峰(しらみね)地区・吉野谷(よしのだに)地区など、自然環境が多彩な市です。

その旧吉野谷村に、木滑(きなめり)地区はあります。

そしてここでは、その名の示す通りおいしい滑子(なめこ)が、たくさん生産されています。


特に驚くことは、これまで見たこともないような大きさのその名も「でっけぇなめこ」が、採れることです。

これが、そのなめこを茹でた写真です。
木滑なめこを茹でたもの
またこちらが、一般的ななめこを同じ様に茹でた写真です。
一般的ななめこを茹でたもの
そして、2つのなめこを生のままで同じ皿にのせて、大きさを較べた写真です。
なめこの大きさを比べるなめこの大きさを比べる
「でっけなめこ」は、こんなにも大きいものです。

木滑なめこは「ブナ」や「トチ」の広葉樹のおがくずを使った、菌床栽培です。

この「でっけぇなめこ」も普通のなめこも、同じ菌床で育てられます。

それでいながら、その中の数本が特別に大きくなります!!

その理由は、まだよくわかっていないそうですが、言うなれば突然変異的に大きくなるようです。

また「でっけぇなめこ」の収穫量が少ないため一般販売は、ごくまれになるそうです。

木滑なめこを食べてみると、一般的なものよりヌメリが多いように感じます。

また身がしまっている感触がして、特に「でっけぇなめこ」は、シャキシャキの歯応えがします。

なめこを食べて「歯応え」???

本当にビックリです。

なめこのヌメリの元となっているのは「ムチン」です。

これは過去ブログ「加賀野菜・小坂れんこんと大好き煮物ときんぴら」で、ご紹介したようにムチンという成分が、のどを保護しカゼから体を守る働きがあるそうです。

そしてムチンは、胃壁を保護する作用があるため、胃炎や胃潰瘍などを予防しその改善に効果があるそうです。

また、パソコンやスマホの使い過ぎによるドライアイなどの目の乾きにも、効果が期待されるといわれています。

そんな時におすすめなのが、「なめこうどん」「なめこそば」です。
なめこうどん
手前に見えるのは、北陸特産の「昆布かまぼこ」です。

そして次は「なめこしらすごはん」です。
なめこしらすごはん
白米の上に能登特産の「中島菜(なかじまな)」をのせ、上乾しらすとなめこを加えたものです。

ちなみになめこにしらすを足すと、美肌効果があるそうです。

また中島菜には、高血圧予防に効果があるといわれています。

そして、ごはんのお伴には、もちろん「なめこのお味噌汁」です。
なめこのお味噌汁
これらの具は、なめことねぎ・とうふです。

ごちそうさま。お腹がいっぱいになりました。

今回の担当は達じいでした。

あんやと(*´▽`*)。






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2017年3月10日金曜日

兼六園の真鯉と緋鯉、そして恋のハートマーク鯉

兼六園の真鯉と緋鯉、そして恋のハートマーク鯉


日本三名園の一つに数えられる「兼六園(けんろくえん)」には、瓢池(ひさごいけ)や霞ヶ池(かすみがいけ)などの観光名所となっている池があります。

これらの池には、お約束通りに鯉が泳いでいます。

これは、池に泳ぐコイを意匠したアンティーク帯です。
池に泳ぐコイを意匠したアンティーク帯池に泳ぐコイを意匠したアンティーク帯
次に「鯉の滝登り」を描いた男子の七五三用の着物です。
鯉の滝登りを描いた男子の七五三用の着物鯉の滝登りを描いた男子の七五三用の着物
このコイは、真鯉(まごい)で黒い色をしています。


兼六園には、高さ6.6メートル・幅1.6メートルで、水量豊富・滝音も大きい雄大な滝「翠滝(みどりたき)」があり、瓢池に注いでいます。

瓢池を泳ぐ真鯉と翠滝を眺めていると、この「鯉の滝登り」を連想することができます。


兼六園の鯉の多くは、真鯉で占められています。

また、それらより少ない割合で、緋鯉(ひごい)がいます。

ちなみに真鯉とは黒い色のコイで、緋鯉とは赤黄色のコイです。

そして、少数ですが錦鯉もいるそうです。


兼六園の池に真鯉が多い理由は、兼六園の歴史にあります。

兼六園の築庭の始まりは、1676年に加賀藩5代藩主・前田綱紀(まえだつなのり)が、自己の別荘を建てその周りを庭園化したことだと言われています。

この庭は、一般的に「連池庭(れんちてい)」と呼ばれています。

しかし、歴代藩主に深く愛された連池庭でしたが、1759年の宝暦の大火でその一部が消失してしまいました。

その後、11代藩主・前田治脩(まえだはるなが)が、1774年に翠滝と夕顔亭(ゆうがおてい)、1776年に内橋亭(うちはしてい)を造営し、蓮池庭を再整備しました。

また、12代藩主・前田斉広(まえだなりなが)が、1822年に自己の隠居所「竹沢御殿(たけざわごてん)」造営し「兼六園」と命名されました。

そして、13代藩主・前田斉泰(まえだなりやす)は、霞ヶ池を広げたり姿の良い木を植えるなどして、兼六園を一大庭園に作りあげました。

さらに1863年には、母・真龍院(しんりゅういん)の隠居所として「巽御殿(たつみごてん)」・現在の「成巽閣(せいそんかく)」を建てて、ほぼ今の庭の形になりました。

そしてこの間、兼六園の池には、真鯉しかいなかったと伝えられているそうです。

それ以来、これが兼六園独自の伝統と考えられるようになったようです。


しかし、いつの間にか真鯉の中に緋鯉が、混ざるようになりました。

おそらく誰かが、黒色鯉ばかりじゃ殺風景だと思い、赤色鯉を放流したのだと思います。

ちなみにその当時の兼六園は、24時間出入り自由の無料開放でした。

兼六園側は、緋鯉の放流が名園の伝統を損なうものだと考えたのか、その緋鯉を捕えて近くのお堀などに放すこととしました。

しかし、その努力の甲斐もなく緋鯉は、増える一方でした。

そしてちょうどその頃、兼六園内の「徽軫灯籠(ことじとうろう)」が、深夜に金づち状のもので破壊されるという、悲しむべき事が起こりました。

これらを憂慮したのか、兼六園では開園時間の設定や入園料が、微収されることになりました。

それは、1976年(昭和51年)のことで、今から40年以上も前のお話です。

その頃からか、真鯉や緋鯉がいっしょにいるのも兼六園の風情だという考え方が深まったようで、現在に至っています。


このような歴史の流れの中で、瓢池には「恋のキューピット」がいるという話題が、広まったことがあります。

それは、体長約30センチメートル程の純白色の鯉で、何と鼻先にピンクのハートマークの模様があります。

この鯉は、恋愛成就にご利益があるかもしれないと、当時写真に収める観光客が、後を絶たないこととなりました。

この話題は、2012年頃から2013年頃、特に盛り上がりました。

しかし、あれから4~5年位経ちますので、この愛を呼ぶ鯉が今でも健在かは、定かではありません。

ただし鯉の寿命は、20年~30年あるいは50年・70年・100年とも言われるそうで、この恋のキューピットにあなたも出会えるかもしれません。

あんたもいっぺん金沢に来てみまっし~♪♪

今回の担当は、今ので十分幸せな達じいでした。

あんやと(*´▽`*)。







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2017年3月1日水曜日

山の恵み「百万石しいたけ」と「のとてまり」


金沢は、日本海に面し背後には、医王山(いおうぜん)の山々があります。

そのため海の幸や山の恵が、豊かです。

金沢の美味しい山の恵の一つとして「百万石しいたけ」があります。

百万石しいたけの写真

この写真の百万石しいたけは、とても大きくて立派なものです。

そのお値段は、1袋に5個入って約300円でお手頃価格です。

このしいたけは、現在の主流栽培方法である菌床によって育てられたものです。


これは、しいたけステーキです。
家庭で作ったしいたけステーキの写真

このしいたけは、濃いだしの味がして香りもよく、美味しくいただきました。

またその味は、原木栽培のものと比べても、遜色なく感じるほどでした。


しいたけは、和食にも洋食にもよい食材となります。

この料理は、しいたけにタルタルソースとチーズをのせて、オーブン焼きにしたものです。
家でフライパンでつくったしいたけタルタルチーズ

しいたけの香りが苦手の孫も、これなら食べてくれます。


次のメニューは、しいたけ入りクリームシチューです。
ご家庭で手軽につくれる椎茸入クリームシチュー

これは、子供にも大人にも大人気です。

そしてご飯にはもちろん、しいたけ入りおみそ汁です。
しいたけ入りのおみそ汁

私もお腹がふくれて何か、あったかくて幸せな気持ちになってきました。


また能登には、金沢に負けないくらい美味しいしいたけがあります。

それは、奥能登産原木椎茸の「のと115」です。

この「のと115」は、直径が10センチ近くにも成長し、肉厚なしいたけです。

そのため近年、優良品種として注目を浴びています。

なお、115とは、椎茸菌の品種の名前です。


この「のと115」の中でも、特に優れた特秀品が「のとてまり」です。

また、「のとてまり」として認定されるには、厳しい基準があります。

1. かさの直径が、8センチ以上である。
2. かさの厚みが、3センチ以上である。
3. かさの巻き込みが、1センチ以上である。

これら3つの条件をすべてクリアして、なおかつ形が揃っていてほぼ球形であることや割れなどが無いことも重要です。


私は、のとてまりステーキの形で、これを一度食したことがあります。

その味は、一般的なしいたけよりも、もっともっと濃厚な旨味があります。

また、しいたけ独特な香りが、口いっぱいに広がります。

そしてその食感はとても不思議なことに、あわびステーキを食べているようでした。


「のとてまり」の価格は、1枚約1,500円~2,000円位もする高級品です。

それは、まさにあわびにも匹敵するほどのお値段です。

また、「のと115」の価格は、1枚約400円~500円位もします。


そして、これらをはるかに上回る高級しいたけがあります。

その名は「のとてまりプレミアム」です。

この「のとてまりプレミアム」は、のとてまりのうち特に形状の優れた品が、プレミアムとなります。

その価格は、2011年の初出荷以降年々上昇していて、2015年の初競り落札価格は、1箱(5個入り)でなんと10万円!!でした。

それが、2016年12月17日の初競りでは、1箱(6個入り)でこれまで最高額の15万円!!で競り落とされました。


このように金沢には、いろいろな食材が豊富にあります。

この食に関する幅の広さや奥行の深さこそが、金沢の食文化を形成するみなもとになっていると思います。

ぜひあなたも、金沢の味覚を堪能してみて下さい。

あんたも金沢にいっぺんきてみまっし~♪
ほやほや(そうよそうよの金沢弁です)いらっしきまっし~♫

今回の担当は達じいでした。

あんやと(*´▽`*)。


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2017年2月22日水曜日

みんな大好き!オムライス誕生秘話、発明は石川県民!?


いきなりですが、ここで問題です。

さて毎月23日は、何の記念日でしょうか?

あまりにも突然の質問で、申し訳ありません。

正解は「オムライスの日」です。
オムライスの日

「なにダラなこと言うとるがいね(金沢弁で、とてもバカなことを言っているわー、です)」。

いえいえこれは、決してダラな話ではありません。

オムライスを考案したのは、石川県宝達志水町(ほうだつしみずちょう)出身の北橋茂男さんです。

その北橋さんの誕生日が、明治33年7月23日であったことから、宝達志水町が「オムライスの日」と設定しました。


それでは、オムライス誕生秘話をご紹介します。


北橋茂男さんは、20代の青年シェフとして、大阪通天閣近くの「新世界」で、洋食屋を開業していました。

そのお店の名は、大阪心斎橋に本店がある「北極星」です。

北極星の当時の店名は「パン屋の食堂」でした。

パン屋の食堂は、従業員も大勢いて洋食とすき焼が名物の大繁盛店でした。

そんな忙しいお店に、足繁く通う一人の常連さんがいました。

彼は、いつも白いごはんとオムレツを注文し食べていました。

それは、1925年(大正14年)のある日のことでした。

北橋さんは、その常連さんに感謝しつつも、同じものばかりではかわいそうだという思いが募りました。

そこで、マッシュルームとたまねぎを炒めてケチャップライスにして、薄焼き卵で包んだ特別料理を彼の前に出したのです。

彼は、一口食べてこう言ったそうです。

「おいしいやん!なんやこれ?」

マスターは、それに応えて言いました。

「オムレツとライスを合わせて、オムライスでんな」

これが、オムライス誕生の瞬間となりました。


2011年宝達志水町は、北橋さんを称えて「北極星」の協力のもと「オムライスの郷」プロジェクトを開始しました。

これに合わせ町内のオムライスプロジェクト加盟店は、料金割引やおまけを付けるサービスを行っています。

また、それぞれのお店ごとに、ユニークなネーミングを提供しています。

ここで、各参加店のオムレツのネーミングをご紹介します。

「そばめしオムライス」「石焼ビビンバオムライス」「のど黒と紅ズワイ蟹のおむらい寿し」「紅白オムライス」「ふつうのオムライス」「ポークソテーオムライス」「味好オムライス」「やわらぎオムライス」など様々なオムライスが、提案されています。


ちなみに当地には、オムライスとおもてなしを掛け合わせた「おむてなし」という言葉があります。

この「おむてなし」には、2つの思いが込められています。

1つは、お客様によりおいしい食事を食べてもらいたいと願って、工夫する思いです。

もう1つは、食事の時に和やかな会話をして、楽しく過ごして欲しいというおもてなしをする心です。


その心は以前、感謝と優しさでお話したことにもつながります。

まさにこれが「能登はやさしや土までも」の心です。

こうしてオムライスは、おいしさとやさしさが一つに包まれた料理になりました。


あんたも、いんぎら~(ゆったりの金沢弁です)としまっし~♪

今回の担当は達じいでした。

あんやと(*´▽`*)。

※追記:オムライス町グルメまつりが、2017年3月19日(日)10:00~15:00に、宝達志水町の押水総合体育館で開催されます。


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2017年2月20日月曜日

白山美川ふくさげ祭りと奇跡の珍味・フグの卵巣の糠漬

白川美川ふくさげ祭り白山美川ふくさげ祭り

「白山美川ふくさげ祭り」のPRが、金沢市の北陸銀行犀川支店で開催されています。

当支店では、2017年3月18日・19日に開催される「第6回白山美川ふくさげ祭り」を盛り上げるために、フグやえびす様などの人形のつるし飾りを13点展示しました。

えびす様の人形のつるし飾りフグのつるし飾り着物の人形つるし飾り

この展示は、2017年2月28日まで行われる予定です。

これらの写真には、様々な着物のハギレで作られた人形が、つるされている姿が見られます。


また、それぞれの人形には「ふくさげ祭り」の言葉の由来に関係があります。



まず「ふく」の由来から。

「ふく」は、魚のフグに由来します。

フグは、フク(福)とも呼ばれ、幸福を意味する言葉です。


次に「さげ」は、魚のサケに関係しています。

美川町は、手取川河口地域にあります。

この手取川は、鮭が帰ってくる遡上南限の川です。

そのサケの人形には、子供達が元気に育ちますようにとの願いが込められています。


そして「祭り」の由来です。

白山市美川町には「おかえり祭」というお祭りがあります。

「おかえり祭」とは、祭りの参加者が蒔絵や漆絵の描かれた13台の台車(だいぐるま)を引き、紋付き袴姿の若衆が勇壮にラッパを吹くというお祭りです。



また、この台車と悪魔祓いの獅子の先導で、鮮やかな金色の神輿が、町内を練り歩きます。

つるし飾りに付けられている若衆を形どった人形は「おかえり太郎」と名付けられた独自のキャラクターです。

また祭りの会場では、美川町の特産品が販売されています。

そこでは、様々なものが売られています。

ここで特筆すべきものに「フグの卵巣の糠漬(ぬかづけ)」と「粕漬(かすづけ)」があります。

美川町のふぐの卵巣の糠漬の写真

一般的にフグの卵巣には、テトロドトキシンという猛毒が多く含まれています。


しかし、その卵巣を2年以上にもわたって塩漬けし、さらに糠漬けあるいは粕漬けすることで毒素が抜けて、何と!!食べられるようになるのです☆

しかし、毒素が抜ける理由は、まだはっきりとは解明されていません。

そのため卵巣の糠漬けを食品として製造できるのは、日本全国で石川県白山市美川地区と金沢市金石(かないわ)地区・大野地区だけです。

これは、古くからの伝統文化であることが認められて、特別許可を得ているため可能となっています。

その味は、濃厚で塩気が強いのが特徴です。

また、日本酒の肴としても抜群で、お茶漬やフグの子パスタなどの食べ方もあります。


石川県には、面白いお祭りや美味しいものが、いっぱいあります。

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2017年2月17日金曜日

加賀野菜・小坂れんこんと大好き煮物ときんぴら



唐突ですが、れんこんはお好きですか。
>>私は、大好きです。
特に好きなのが、れんこんの煮物です。

レンコンの煮物の画像

油揚げやにんじん・しいたけ・さといも・こんにゃくなどといっしょに煮たれんこんは、ホックホクでご飯がすすみます。

また、れんこんを油で炒めたきんぴらも大好きです。

れんこんのきんぴら

あの甘辛く味付けした、シャキシャキとした食感がたまりません。

れんこんの成分には、脂質がほとんど含まれていないため、油を使用した調理法ととても相性が良いそうです。

そしてれんこんには、疲労回復に効果があるビタミンCがあり、腸の働きを活発にする食物繊維が、豊富に含まれています。

また、熱に弱いビタミンCがでんぷん質に守られて、加熱しても失われにくいのが特徴です。


金沢には、加賀野菜の一つである「小坂れんこん」があります。

この小坂れんこんは、加賀れんこんとも呼ばれ、金沢市小坂町が主な産地であるためこう名付けられました。

そして、江戸時代の頃から栽培されていたと伝えられている金沢の特産品です。


れんこんは、蓮の地下茎(ちかけい)という茎が肥大化したものです。

それは、水の張られた泥の中で育つため、空気を運ぶ通気孔が発達し、茎に穴がいくつも開きます。

れんこんには、この穴が開いているため、先が見通せるという縁起物であることから、お正月のおせち料理に良く使われます。

また、一般的なれんこんの穴は8個ですが、金沢で栽培されている支那白花(しなしろはな)という品種は、その穴が9個あります(中央で円形に並ぶ主な大きめの穴のことです)。

加賀野菜の一つである小坂れんこん

れんこんの主成分は、糖質ででんぷんやムチン質という粘り気の成分により、それぞれ特有の歯応えと口当りがあります。

その全国一の産地は、あの新横綱・稀勢の里の出身地である茨城県です。

茨城産の主な品種は、中国原産の「金澄(かなすみ)」系や「だるま」系です。

これらは、肉厚のれんこんで歯切れが良く、シャキシャキとした食感です。

一方、小坂れんこんは粘り気が強く、ネットリとしたホックホク感があります。

金沢人は、このホックホク感が大好きです。

炬燵(金沢弁で「おこた」)で、ゆっくりまったりホックホク。

この環境が、金沢人の人柄や気質を作りだす基本となっているようです。

ここで、わが家特製の「れんこんポタージュ」をご紹介します。

料理したレンコンスープ


このれんこんポタージュは、とても美味しくてしかも簡単にできます。

そして、れんこんに含まれるムチンという成分が、のどを保護しカゼから体を守る働きがあるそうです。

◯れんこんポタージュの調理方法

れんこんポタージュの材料イメージ


1. れんこんを皮つきのまま、おろし金ですりおろす(数量適量)。
2. それを鍋に入れ、牛乳を加える(数量目分量)。
3. 固形コンソメを入れる(数量1個分)。
4. 鍋を火にかけ、3分から5分位あたためる。
5. 食器に盛り付ける。
6. きざみ青しそまたは、きざみパセリをかける。
7. お好みで黒コショウを振りかける。

はい、あっという間にできあがり。
ぜひ、お試しあれ。

金沢は、いいとこねんよ~♪♪

あんたもいっぺん、金沢にきてみまっし~♫


今回の担当は達じいでした。

あんやと(*´▽`*)。


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2017年2月15日水曜日

兼六園の梅花と前田家家紋・剣梅鉢紋


金沢の兼六園では、強い寒気が流れ込む中、ウメが咲き始め早咲きの八重寒紅梅と冬至梅が、見頃を迎えました。

兼六園には、ウメがまとまって植えられている梅林があります。

また園内には、20種類・約200本のウメがあります。

その中で、最も多い100本の白加賀は、まだつぼみが2分咲くらいです。

そして、鮮やかなピンク色の花を咲かせる摩耶紅梅は、3月中旬から下旬が見頃になります。※2017年2月10日付、北陸中日新聞の記事に基づいています。

石川県の代表的な九谷焼のお銚子の写真

これは、石川県が誇る九谷焼のお銚子と盃の写真です。

お酒好きのおじさんが愛用する「ウメ~」の画像で、まずはお楽しみ下さい。

そしてこちらは、着物の梅柄の華やかな画像をご覧下さい。

着物の訪問着の梅の文様きものの小紋の梅の文様加賀友禅の梅の訪問着の写真紫色の生地と小紋の梅文様


ところで、兼六園に梅林があることには、深い理由があります。

それは加賀藩前田家が、菅原道真の子孫であることを自称していることにちなみます。

菅原道真は、平成時代の歌人です。

代表的な歌は「東風(こち)吹かば、匂いおこせよ 梅の花 主(あるじ)無しとて 春を忘るな」です。

また道真は、学問の神様としてまた天神様として、福岡県太宰府天満宮など各地の天満宮で祭られています。

この太宰府天満宮には。約200種・およそ6000本の白梅や紅梅があり、日本有数の梅の名所になっています。


そして、この由緒正しき!??前田家の家紋は、剣梅鉢紋です。

前田家は、もともと六曜紋でしたが、それが梅鉢紋に変わり、加賀藩三代藩主前田利常の時代に剣梅鉢紋となったそうです。
家紋である梅鉢紋の写真

この紋は、梅鉢紋に幼剣(短小な剣)を入れたデザインです。

この剣は、前田本家では短かい剣ですが、支藩である富山藩や大聖寺藩(だいしょうじはん)では、剣が少し長くなっています。

一方、七日市藩ではその剣がなくなります。

その理由は、意外なところにあります。

本藩は、学問や文化を通じて徳川と仲良くやっていこうという文治派のため、梅鉢の剣を短くしています。

それに比して支藩の方は、いつかは徳川に変わって天下を獲ってやるぞという、心に秘めた武功派としての意気地で、剣を長くしているそうです。



ここでお話は、大きく変わります。

縁起の良い物のたとえに「松竹梅」という言葉があります。

この松竹梅は、ともに寒さに耐えるため「歳寒の三友」と呼ばれて、おめでたいものとして慶事に使われます。

「松」は、四季を通じて常に緑を保つから縁起がいい。

「竹」は、すくすくと伸びるから縁起よし。

「梅」は、極寒の冬に一番先に花が咲くからおめでたい。

これが「松竹梅」の由来と考えられているようです。

また、基本的にこの三つには、一番・二番・三番という順番はないそうです。


では、なぜ順番がついてしまったのでしょうか。

この理由には、うなぎ屋発祥であるという説があります。

本来うなぎ屋では、客の注文を受けてからそれをさばき焼くため、蒲焼きが出てくるまで長時間かかります。

そのため江戸っ子は「(まつ)(だけ)(うめ)え」と洒落て待ったそうです。

そんなうなぎ屋さんの中にも、が一番上等のうな重であるお店があると聞いたこともあります。


そして、金沢でも「梅が一番」という言葉があります。

それは「うめがいち」という言葉です。

これは、金沢特有の伝統文化である子供の遊び「旗源平(はたげんぺい)」にちなんでいます。

まず2個のさいころを振り、1と5の目が出ると10点得点され、中旗1本もらえます。

そしてさらに、さいころを続けて振ることもできます。

これが旗源平では、一番良い手となり「うめがいち」と呼びます。

さいころの5の目は、梅の5枚の花びらに見立てます。

そして1の目は、もちろん1番の意味です。

このようなわけで、金沢では梅が一番なのです。

今回の担当は達じいでした。

あんやと(*´▽`*)。


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